1958年にニューヨーク・シーンに現れた
フレディ・ハバードはフィリー・ジョー・ジョーンズの
ギグやソニー・ロリンズのツアー
チャーリー・パーシップのジャズ・ステイツメン参加を
通じて株をあげていた22歳のホープ。
クリフォード・ブラウン、ドナルド・バード
リー・モーガンの系統に属しつつ新しいサウンドも
輝いていた。 60年代と言う新しいディケードの最初を飾る逸材として
ブルーノートが彼に注目した。
フレディ・レッドが音楽を書いた「ザ・コネクション」参加などで
注目されていた新鋭ティナ・ブルックスと抱き合わせで
まずはバード名義で「オープン・セサミ」、1週間後ブルックス名義で
「トゥルー・ブルー」。
ハバードは早くもセカンドの本アルバム、ハンク・モブレーの「ロール・コール」
ケニー・ドリューの「アンダーカレント」
ジャッキー・マクリーンの「ブルースニク」へ起用。
まさに「ひらけゴマ」のダッシュだった。
ファースト、セカンドともジャズテットを退団してコルトレーングループに
合流したばかりのマッコイ・タイナーがフレッシュなアプローチを聞かせている。
翌61年にはウェイン・ショーターが音楽監督を務める
ザ・ジャズ・メッセンジャーズへ参加。
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